みなかみ町観光協会 みなかみパーフェクトガイド 日帰り温泉18湯

湖底に沈んだ2つの温泉

かつて赤谷湖の湖底を流れていた赤谷川の渓谷には、「湯島の湯」と「笹の湯」という温泉があった。昭和33(1958)年、相俣ダムの完成により、赤谷川はせき止められ、渓谷にあった2 つの温泉は湖に水没した。
旧四軒と呼ばれる湯島にあった桑原館、長生館、見晴館と笹の湯にあった相生館は、代替地として現在の場所へ移転。新たな源泉を掘削して、猿ヶ京温泉として生まれ変わった。
翌年には三国トンネルが開通し、国道17 が群馬県と新潟県を結んだ。同37 年に苗場際スキ?場が完成すると、猿ヶ京温泉に冬スキー客が押し寄せるようになった。旧四軒しかなった旅館も数を増やし、こぞって農家も民泊を受け入れ、民宿経営に乗り出した。折からの車ブームも追い風となり、人造湖を下ろす高台の温泉地は史
上空前の観光客を迎え、群馬を代表する温泉地へと変貌した。


謙信ゆかりの地、申が今日

猿ヶ京という地名の由来には、こんな伝説がある。
永禄3(1560) 年、上杉謙信が越後から三国峠を越えて関東平野出陣の際、今の猿ヶ京である「宮野」という城に泊まり、不思議な夢を見た。宴席で膳に向かうと箸が1 本しなく、ごちそうを食べようとするとポロポロと歯が8本抜け落ちた。
嫌な夢を見たと思い、このことを家臣に告げると「これは関八州(関東一円)を片はし(片箸)手に入れる夢なり」と答えたので、謙信は大いに喜び、「今年は庚申(かのえさる)の年で、今日も庚申の日。我も申年生まれ、これより関東出陣祝いとして、ゆかりの地である宮野を『申が今日』(猿ヶ京)と名付ける」と申し渡したという。
引用文献
「みなかみ18湯〈下〉」小暮淳著、A5判、112頁、並製本
定価 本体953円+税
湯の数だけ 歴史がある―温泉シリーズ第4弾!―
利根川源流の温泉地 水上温泉郷、緑と民話の里で知られる 三国・猿ヶ京温泉郷、街道沿いの古くからの湯治場 月夜野・上牧温泉郷など、みなかみ町には18の温泉地がある。昨年刊行の上巻では水上温泉と猿ヶ京温泉の2温泉地、下巻では谷川温泉、湯檜曽温泉、宝川温泉、法師温泉、上牧温泉など16温泉地を紹介。上下巻合わせ75軒の源泉宿を掲載。